「天の父に祈る」  03−11−02
           ルカ11:5〜13

 主イエスが教えてくださった祈りは、神さまに「父よ」と呼びかけることから
始まります。これは、驚くべきことです。神さまを父と呼ぶことができるのは、
神の御子である主イエスにしかできないことだからです。
 ところが、確かに「父よ」と呼びかけることを教えてくださったのです。
主イエスが、神とわたしたちを父と子の関係にしてくださるからです。
この祈りを祈ることを命じられているゆえに、「私たちは神の子です」と自信を
持って言うことが出来ます。

 主は、神さまと私たちの関係を、友人や父親のたとえを通してお示しに
なります。真夜中に来客用のパンを借りようと友人の家を訪ねたとすれば、
最初は友人に断られても、執拗に頼めば与えてくれるだろうとおっしゃいます。
神さまに対して執拗に頼むようにとの勧めではありません。友人でさえ
そうならば、神さまは執拗に頼むまでもなく、応えてくださるのです。
戸を閉められることや、真夜中だといって断られることはないのです。
私たちの側で、勝手に戸を閉めたり、時間や状況の制限を作り上げることが
ありますが、そんな必要はないのです。だからこそ、いつでも門をたたけば
良いのです。遠慮したり、執拗にたたかなければならない関係ではないのです。

 普通の父親でも、子どもに良いものを与えます。ましてや父なる神さまで
あれば、本当に必要なものを与えてくださるに違いないのです。
 人の父親以上に、父なる神さまは本当に良いものをご存知で、それを与える
ことがおできになります。また、不要なものもご存知です。私たちの祈りは
つたないですから、時に不必要なものを願っている事もあるかもしれません。
 しかし、そんな祈りをする者でも弾き飛ばすことなく、それを聞き、そして
良い物を与えてくださるのです。
 ですから、
私たちは的外れなことを求めているかも知れないと言って、
悩まなくても良いのです。
 私たちは父なる神さまに、いつでも、どんなことでも祈り求めることが
できる者とされています。